今回は、歌舞伎町弁財天と、そこに描かれている素晴らしい墨画についてご案内したいと思います。
歌舞伎町を訪れる方の中で、歌舞伎町弁財天と呼ばれ、親しまれている弁天様が祀られていることをご存知の方はどれほどいらっしゃるでしょうか?
歌舞伎町の街並みに溶け込みながらも、その空間へ一歩踏み込めば静かな時間が流れ、鳥のさえずりが聞こえる特別な場所です。
5月の歌舞伎町まつりなどで、お神輿が立ち寄る場所としても、由緒ある場所です。
歌舞伎町弁財天の由来とは
新宿歴史博物館よりご提供頂いた資料より、まずは歌舞伎町弁財天の由来を紐解いてみたいと思います。
弁天様は、仏教以前に賢者聖人の信仰厚き宇治神と称する天地創造の神のお一方で、仏教の始祖は天部の神とし、仏教の守護神として崇められた尊神です。
宇治神はもと渓流水源等、水を司る神で妙音天と云われ、又、美音天とも称された文化神で、信仰すれば知恵が授かり、芸術に長ずるところから弁才天とも云われ、更に財宝が授かる霊験のある処から才の字が財の字に替り、弁財天と云われるようになりました。
而して天部の神が垂れ賜う博愛を美麗なる弁天のお姿で表現せられる信者は、弁天様の愛称で合掌する福の神様です。
歌舞伎町は昔、大村の守りと云われ、広大な沼があって、沼の辺りに弁天様が祀られてありました。淀橋浄水場の建設に当り、その残土で沼は埋められ、峰島家で現在の場所に弁天様は祀られ、大正二年堂の改築再建に当り不忍弁。財天より現在安置の御本尊を勧請して五月巳の日に盛大な祭典が行なわれ、爾来五月の巳の日を歌舞伎町弁財天の祭日とせられた。この霊験あらたかな歌舞伎弁財天の御守を守護神として、永遠に崇め奉れば福徳・財宝が得られます。
歌舞伎という芸事に纏わる名前が町名についたそもそもの成り立ちにも通じる土地柄、歴史があったのでしょうか。
さらに、芸術、美術の街として、様々な試みを行い、アートな街、エンターテイメントの街として活動する「現在の活動の流れ」がこの街の成り立ちの礎となっているのかもしれません。
現在の活動とはどういったものがあるのでしょうか?
歌舞伎町アートプロジェクト
近年、街の皆さんの日々の活動で、「以前と比べて、歌舞伎町がきれいになった」「来たい街、歩きたい街と思えるようになった」という声を聞きます。
以前は、怖い、汚い、臭い街と言われた時代もありました。
しかし、近年、歌舞伎町の美観向上、落書き防止のために、「歌舞伎町アートプロジェクト」という活動が発足し、その一環として、様々なアーティストの方のお力を借り、トランスボックスに装飾を施す、という活動が行われました。
トランスボックスとは変圧器のことで、街の通り沿いの各所にあります。
心ない落書きなどがされ、街の景観を損なう要因でもありました。
歌舞伎町内に設置されているトランスボックスには、現在、上記の「歌舞伎町アートプロジェクト」活動により、素敵な絵が施されているのを皆さんは御存知でしょうか?
『歌舞伎町アートプロジェクト展』@新宿区役所
これらの活動に寄与してくださったアーティストの中のお一人である「東學」さんには、弁財天へ墨画を書いて頂き、なんとこの作品が完成するまで2年余
を要し、素晴らしい龍虎の画が描かれました。
東學さんによる作品 弁財天地龍虎について
東さんがこの作品への思いを、新宿クリエイターズフェスタに寄せてくださっています。
芝居の宣伝美術家として、また世の混沌を描く墨絵師として活動している私にとって歌舞伎町は古の縁を感じる町(現在のアトリエも大阪の道頓堀)だ。
この町の守り神として、2014年の夏の終わり、天に立ち昇る「龍神」を描いた。
一年後の2015年、大地を駆ける「虎神」を描いた。
天に希望を見、力強く地に生きる一対の龍虎が、通り過ぎる人々との一期一会となり、心のよりどころになるといい。
東學(AZUMA,Gaku)
そこに根付き、生活をしていた人の手で紡がれた歴史という成り立ちの上に私たちは生かされていて、それを未来に繋いでいく活動が、ここ歌舞伎町では日々行われています。
ここ歌舞伎町弁財天では、過去から今、そして未来へとつながっていく時間を感じて頂けることでしょう。